自分がこれまで生きてきた時間と、これから生きたい未来の時間を可視化するため、「人生カレンダー」を作ってみた。
その結果、色んな感情が巻き起こり、心拍数が上がったり冷や汗が出たり、なんなら寒気すら感じ始めたあとにお尻に火が点いたので記録に残したい。
すべてはここから始まった
「TED」で登場した時間を表すチャート

語学勉強を兼ねて観ているTED Talks。
過去に観た異なる2つの動画のなかで、似たようなチャートが出ていたことを思い出した。
人生の時間を可視化したものである。
Inside the Mind of a Master Procrastinator
by Tim Urban
▼「先延ばし魔」の頭の中はどのようになっているのか、自身の体験談をユーモアを交えて紹介しながら、人生という限られた時間との向き合い方を説く
The Battle for Your Time: Exposing the Costs of Social Media
by Dino Ambrosi
▼SNSが人生の貴重な時間をどれほど奪っているか、その恐ろしさとデジタルデバイスとの適切な付き合い方を伝える
この2つのプレゼンのなかで登場するのが、以下のような表。

もともと、頭のなかにあることを書き出したり可視化したりして、全体感を把握するのが好きな私。
「そういえば人生の時間を可視化したことなかったな」と気づき、無性に惹かれた。
これが、人生カレンダーを作ろうと思ったきっかけの一つ。
永遠に生きられるかのような、誤った感覚

誰もが使っているカレンダー。
一か月が終わると「あぁ、今月も早かったな」と呟きながら次の月を開く。一年が終わると「あぁ、今年もあっという間だったな」と言いながら翌年のカレンダーを購入する……
このシステム、今まで何も疑ったことがなかったけれど、あるときふと、
「焦ったり後悔するのは一瞬で、新たな月や新たな年が始まるたびに、まるで時間が回復したかのような、まるで未来永劫生きられるかのような感覚に陥ってないか?自分?」と思った。
「月」や「年」は、あくまでも人生の一部の期間のトリミングにすぎない。
「いつまでも、めくれると思うな、カレンダー」である。
- 「月」や「年」など、切り取られた期間にだけ意識を奪われ続けるのはまずい。もっと人生規模で時間を捉え直さなくては。
- 「人生のカレンダー」を作ってプリントアウトして、常に目に見えるところに置くなり貼るなりすれば、時間の使い方に意識的になれるんじゃないか
そう思った。
これが、人生カレンダーを作ろうと思ったきっかけの二つ目。
まさか、こんなゆるい動機で始めた人生カレンダー作りが、のちの私を戦慄させることになるとは、このときの私は知らない(遠い目)。
自分オリジナルの人生カレンダーの作り方
自分だけの人生カレンダーはどのように作るか。
あれこれ考えて、私がしっくりきた作り方を紹介します。
横が「週」× 縦が「年齢」の表を作る

人生カレンダーはExcelで作っていく。
- 一週間を表すボックスを横一列に52個(一年分)並べる
- それを0歳から自分の理想の寿命の年齢の数だけ、縦に行を追加する
- 表が完成したらプリントアウトする
- 生まれた月から今日までのすべての週のボックスを塗りつぶす
- 今後は一週間が終わるたびに週のボックスを塗りつぶす
こうすることによって、時間は有限であると意識して、より意図を持って時間の使い方をしていけるのではと考えた。
いたってシンプルなコンセプト。
週番号(Week Number)の考え方を取り入れる

日本にはあまり馴染みのない考え方だが、この世には「週番号(Week Number)」という考え方がある。
これは一年の各週に番号を振っていく考え方で、
365日÷7日(一週間)= 52週
つまり一年は52週だから、各週に1から52の番号を振っていこうね、これで週の管理がしやすいよね、週の認識のズレが起きないよね、ということ。
一年の始まりである1月1日の週が「週番号1」となり、年末最後の週は「週番号52」になる。
実は、iPhoneにデフォルトで入っているカレンダーアプリには「週番号」という機能があり、それをONにすればカレンダーの横に週番号が表示されるようになる(iPhoneトークですみません)。
iPhoneの「設定」 >「アプリ」>「カレンダー」>「週番号」をON

今が第何週目か分からなくなったら、この機能と照合してズレがないように人生カレンダーを塗りつぶしていく。
やや面倒であることは正直に認めさせていただく。
なぜ「月」ではなく「週」で作るのか

人生カレンダーで塗りつぶすボックスを、「週」ではなく「月」で考える場合。
一年は12ヵ月だから、横にボックスを12個並べればカレンダーが完成するので、シンプルで分かりやすい。

カウントも楽なので塗りつぶす際にズレも生じない。一見、最適なアイデアに思える。
一方で、「月」を表すボックスを12個並べて毎月塗りつぶすとなると、一年に12回しか塗りつぶす作業がやってこない。これだとマンスリーカレンダーとやってることはほぼ同じ。
「えっ、もう〇月?今年も残り△ヶ月じゃん!」みたいな会話は死ぬほどしているのに、そのあいだに存在している「週」に関しては毎週なんとなく繰り返してしまってますよね、私たち。
となると、時間に対して今までよりも意識的になることを目的とするには、「月」式はあまり効果がなさそうに思えたので、毎週いちいち塗りつぶす作業を発生させようと考えた(これが習慣化できれば、の話ではある)。
理想の寿命を決める

当たり前だが、寿命を決めないことには人生カレンダーは完成しない。
実は、この作業が【恐怖フェーズその①】である。
多くの方は「〇歳まで生きられたらいいなぁ」なんてことを一度はほんのりと考えたことがあると思うが、問題は「腰を据えて理想の寿命を考えたことはあるのか」ということ。
ちなみに、私は、ない(白目)。
だからこそ、カレンダーを作る手が震えた。なんだか自分で自分の遠い未来にピリオドを打ち込んだ気持ちになったから。
仮にでも終わりを決めるって、怖い。

あれこれ悩んだ末、いったん100歳までは生きたいと思った(楽観的)。
そのときの自分がどんな人生を歩んでいるのか、想像なんてできない。
けれど、日本人女性の平均寿命である87.14歳でカレンダーを終えることには抵抗があった。
理由もなく「それはあまりにも早い」と思ってしまったのだ。世界第一位の長寿国だというのに!
なんなら100歳を超えたいとすら思い始めた。今までそんなこと考えたことすらなかったのに、だ。
しかも、やはりそこに明確な理由はない。
あるのは「だって長生きしたいじゃんっ!」という漠然としたパッションだけである。
この時点で人生と寿命に対する解像度が依然低いままなのに、それは積極的にスルーして(そして腰を据えて考えることも放棄し)、いったん100歳までのカレンダーで作成することに決めた(じゃなきゃ進まない)。
ちなみに、100歳で終わることにいまだ納得していない。
急に湧いてきた生への底なしの欲求。ホモサピっぽくて痺れる。
プリントアウトして完成
最後はプリントアウトして終了。
各週のボックスはデバイス上で塗りつぶすほうが作業が楽ではあるけれど、人生カレンダーの目的はあくまでも時間の重要性を実感すること。それには「いちいちやる」手作業が必須。
あと、人生の全体感を把握するためには絶対に紙で持っていたほうがいい。一覧性が高い。
人生カレンダーを塗りつぶす

生きてきた時間を辿る
さて、早速今日まで生きてきたすべての週のボックスを塗りつぶしていく。
「いやー、結構なボックス数だね。塗るの疲れるんじゃない?終わったら甘いものでも食べようか」なんていう余裕などすぐに消え去る。
ここが【恐怖フェーズその②】である。
一年=52週。一見多いようで、実はかなり少ない。塗りつぶし始めると想像よりも早く今現在の自分の年齢の行に到達する。
塗り進めるうちに、だんだんと怖くなってくるのだ。
今でも鮮明に蘇る濃密に生きた遠い過去の一週間も、ぼんやり過ごして何も思い出せない最近の一週間も、きっちり同じだけの時間が流れていたという事実を突きつけられる。
そのどちらも同じように塗りつぶすのだ。それはまるで自分の手で過去に「完了ボタン」を押し続けていくような感覚。
すべて塗りつぶし終わると、しばらくのあいだ言葉を失ってしまう。
今まで自分の人生をこんな風に捉えたことはない。不思議な感覚に陥る。
「これまでの人生ってこんなにもあっという間なのか」
「時間はこんなにも一瞬なのか」
色んな思いが入り混じる。いったん、どこかへ引き返せないかとすら思う。
しかし、目を背けることはできない。
未来を生きられる保証などない
今日まで生きてきたすべての週と、残されたこれからの時間でカレンダーが分かれた。
その上で未来の空白のボックスたちを眺めると、「のんびりしてる暇ありませんやん(顔面蒼白)」と気づく。
ここが、最大にして最強の【恐怖フェーズその③】である。
なぜなら、「残されたこれからの時間」が予想通りにやってくる保証などまったくなく、早かれ遅かれ「自分はいつか必ずこの世を去る」と視覚的に思い知らされるからだ。
この人生カレンダーは、「とりあえず100歳までは生きてみたいかも!」みたいなノリで作った希望的観測ベースのカレンダー。何の根拠もない。
寿命はもっと早くやってくるかも知れない。平均寿命よりも早いかも知れない。それよりももっともっと早いかも知れない。もしかしたらそれは来週にやってきて、もうボックスを塗り進められなくなるかも知れない。
「過去」と「今」は確かにあるけれど、「未来」に確実性などない。
お気楽に引き延ばした人生カレンダーを前に、しばし茫然とする。
明日がやってくる保証なんてないんだ。
であれば、今この瞬間をもっと大切にしなければ。
人生カレンダーを作って得られたこと
塗りつぶし終わったあとは、血の気が引いて顔が強張る感覚がしばらく続いた人生カレンダー。
だがしかし、「怯えて終了」では意味がない。
あくまでもこれを活用して、意図を持った時間の使い方ができるようになることが目的だった。
人生カレンダーによって得られたことをまとめたい。
人生の時間を可視化して俯瞰できる

これはかなり大きい。
一か月ごとやクォーター、そして一年ごとのカレンダーのような区切られた期間だけでなく、人生規模で時間を捉え直せたのは非常に良かった。
日常生活は短い期間での細々としたスケジューリングが中心になるが、それに追われてばかりいるとどうしても近視眼的な生き方になってしまいそうになる。
人生カレンダーはそんな視点をぐっと引き上げ、視野を広げてくれる。
視覚的に人生を俯瞰することにより自分の現在地を常に確認できるようになったのはとても大きい収穫だった。
中身が詰まった生き方をしようと思い始める

人生カレンダーに並んでいるのは、週を表すボックスである。
そして、明日以降の日々は人生カレンダーの上で空のボックスとして鎮座している。
非常に感覚的な話になるのだが、これからの空のボックスにはしっかりと中身を詰めて、しっかりと「生きた」という実感を持って塗りつぶしていきたいと思うようになった。
先述の通り、ぼんやりと生きた週も濃密に生きた週も、過ぎれば同じようにそのボックスを塗りつぶすのである。
どうせボックスを塗りつぶすのであれば、空箱のままでは終わらせない。
中身を詰めていきたい。そんな感情が芽生えた。
小さな決意と呼べるのかも知れない。
人生に対して逆算思考になる

人生カレンダーを眺めていると、何歳までに何を実現したいか、それに向けて今日から何ができるかを今までにないほど真剣に考え始める。
繰り返しになるが、時間はあっという間に過ぎ去り、未来がやってくる保証もないと実感したからだ。逆算思考にならざるを得ない。
- どんな人生を送りたいか、どんな自分になりたいか、何を叶えたいか、どんな風に人生を終えたいか
- そのためには何が必要か、今から始められることは何か
理想の人生プランを書き出したり3年~10年の中長期計画を立てることはあっても、それとはまた違った、人生に対する差し迫ったより大きな意識が芽生える。
「人生の計画を立ててそれ通りに生きるなんて、予定調和で面白みに欠ける」という意見もあるかもしれないけれど、適度な逆算思考は素敵な人生作りの先延ばしにブレーキをかけてくれる効果があると思う。
もちろん、予期せぬ出会いや出来事も目一杯楽しみながら。
平均寿命だけでなく「健康寿命」を意識し始める

先述の通り、私は日本人女性の平均寿命を華麗にスルーし、あくまでも自分の理想の寿命をもとに100歳までの人生カレンダーを作成した。
もちろん平均寿命は無視できない。しかし同じくらい重要なのが、「健康寿命」。
平均寿命と健康寿命の違いは以下の通り。
- 平均寿命:生まれた赤ちゃんが平均して何歳まで生きるかを示す指標
- 健康寿命:介護や医療に頼らず、自立して生活できる期間
言い換えると健康寿命は「元気に過ごせる期間」、平均寿命は「生きている期間の合計」ということになる。
日本では、平均寿命と健康寿命の間に10年前後の差があり、この間は病気や介護が必要な期間になりがちと言われている。
つまり、ただ長生きすればいいかというとそういうわけでもなく、健康寿命を延ばすことが大事。
昨今の健康志向ブームの影響を受けて、将来的には平均寿命と健康寿命の差は縮まっていくのだろうか。
プチ健康オタクの身としては、引き続き今できることからやっていきたい。
誰しも健康な心と身体、そして幸せな人生だという実感を持ったまま人生の幕を閉じたいですもんね。
大切な人の人生にも意識的になる

ここ最近、強烈なパッションと哲学の持ち主である実父が、ことあるごとに自身の寿命をほのめかし始めた。
「自分の人生は、あと〇〇年くらいだ」とか言い出したのである。恐ろしい。
子としては、親の寿命予測botなんて聞きたいわけがない。当然、心寂しくなる。
今回作った人生カレンダーを眺めていると、父のその言葉が浮かんでくる。
仮にその言葉を参考にするなら、一緒に過ごせる時間はあとこれだけの週しかないのか、と考えさせられる。
親と過ごせる時間は永遠ではないのだ。
のんびりしていると貴重なその時間はあっという間に過ぎていく。私は過去のボックスを塗りつぶす作業でその感覚をしっかりと実感している。
父の寿命予測botは恐ろしすぎるし出来ることなら聞きたくないが、目を瞑りたくはない。
自分の人生の有限性だけでなく、大切な人たちの人生にも意識的になれるのはいい機会だった。
それもこれも、時間を可視化できたことが大きい。
懸念点もある
これはどのように管理すればいいんだ問題

これどこに置いておけばいいんですか……?という話。
時間の使い方に意識的になるためには、できることなら常に視界に入る場所に貼っておきたい。毎週塗りつぶす作業も発生する。
どこかにしまっておくと、きっと存在を忘れて、また普段の時間感覚に舞い戻ること間違いなし。
ただし、貼っておくことによって周囲の人々の視界にも入り、間接的に悲しい気持ちにさせてしまう恐れがある場合は貼る場所に配慮したい。
気持ちが沈んでるときに見たらどうなる?
気持ちが沈んでいるときに人生カレンダーを見たらどうなるのか。
「人生の時間は限られてるんだから落ち込んでるヒマはないよ!さぁ、前を向こっ!」という主人公ムーブが発動されるのか、

「どうしてだよぉぉぉ!(CV:藤原竜也氏)」という強烈な絶望感に陥るのか、

現時点では不明である。検証していきたい。
できることなら前者であってほしいが(そうなる気はする。本当にヘコんでる時間がないと視覚的に理解して焦りそうなので)、もしも後者であるならば、そんなときは人生カレンダーを引きちぎってしまおうと思う。
またプリントアウトすればいいので。塗りつぶし作業の恐怖を繰り返すことになるけれども……
ただ、どこまでいっても、「今」の積み重ねが人生を作る。
どんな自分もどんな感情も慈しむことが人生を愛しいものにするのだから、どう転んでも立ち上がれば大丈夫。
時間を大切にしようという意識さえ手に入れられたのであれば。